古事記・大国主考察
artartn
海幸山幸って言えば、「釣り竿や弓など長い棒に糸を取り付けたもの」の事を「さち」と呼んだそうです。
04-18 04:51「因幡の白兎」子供の頃は八十神の兄貴達酷い奴らだと思ってたんですが、今になって思うとアレは「消毒・化膿止め」だったんじゃないかなと思うのですよ。怪我の範囲が広すぎて薬じゃ間に合わないと判断して塩で消毒させたのでは。
04-18 04:57塩による炎症よりも、感染症の予防を優先して取った処置では。当時の真水は今と違って塩素消毒されていないので海の水の方が寄生虫や菌が少なかった。高濃度の塩水になればOKなので大国主が来た時点で真水で洗い流すのもまた正解で、兄は後から彼が来るのを見越して判断したのではと思うと良い奴。
04-18 05:04大国主の嫡男にミホヒコ(幼名:ヨロギマロ/ニニキネ~ウガヤ剣臣)と言う人が居て男女計36人の子供を育てて「コモリ」と呼ばれてた。彼はは父大国主に習い医学や薬学の知識に明るくて。この兎のくだりはこの表現なのだろうなと。ちなみにコモリ36子は全員名前が残ってます
04-18 05:12コモリの祖父・オオナムチの181子は殆ど名前が残ってないんだけどねw。
04-18 05:14ミホヒコは元祖イクメン
04-18 05:17西洋医学は中世~近代くらいまで瀉血とか沸騰したコールタールにぶっ込むとかそんな治療法だったので、それを思うと遥かに理に適って人道的な処置だったと思うよ。八十神。
04-18 05:31縄文時代には既に簡単な漢方薬は一通り揃っていて、平安時代には現代ある漢方の殆どが完成していたらしいね。逆に平安以降新たに調合開発された新薬は殆どなかったとか。
04-18 05:41ウサギとワニも、古代史族の誰かの比喩なんだろうなぁ。調べてないから適当なこと言うけど、兎は「菟狭/宇佐」とつく何某、ワニは「和邇/王仁」とつく何某で、抗争に負けたウサを介抱もしくは支援したのかもしれない。もしくは武力抗争ではなく内政的な問題だったのかも。
04-18 05:50大国主と八十神が求婚に行ったのはたぶん日高見国のミホツヒメの所だと思うよ。7代目高皇産霊のタカキネ(ミラクリエさんの所で描いたお爺ちゃん)の末娘。当時タカキネは天照と同等かそれ以上の権力を持っていたので(財産の相続先は女児)皆ミホツヒメを狙ってたんだと思う。八十神以外でも。
04-18 05:58
うちのタカキネさん再掲しておきますね。
— ゆずき@相河柚希 (@artartn) 2017年4月17日
オオナムチ相手に国譲りをしろと言ったのもこの人だし、アメワカヒコに返し矢を射ったのもこの人だし、オシホミミの死後日高見国を独立させたのもこの人。 https://t.co/zLo1hpPpf4
-再掲-
私はタカキネとタケミカヅチ(青い髪の人)のデザインが気に入ってます。鮭です。鮭。(炭化物として残りにくい素材なので発掘こそされてませんがあってもおかしくないと思う) pic.twitter.com/UXCW6uivjN
— ゆずき@相河柚希 (@artartn) 2017年4月8日
-追記:大国主の義父・タカキネ(高木神)について-
天照さんより権力があった可能性のあるタカキネ(高木神)なのですが、天照さんが幼童の頃からの御目付役。思兼はその長男。
— ゆずき@相河柚希 (@artartn) 2017年4月17日
思兼は岩戸等優しい施策が多いのですが(スサノオが怠けてた間の根の国を管理していたのも彼)、高木は力押しの施策が多いです。
スサノオが怠けてた間の根の国の管理は思兼って表現は解答的にはサンカクで、時期の前半がヤソキネ(思兼の祖父)で後半が思兼。
— ゆずき@相河柚希 (@artartn) 2017年4月17日
まぁ、御高齢だったので途中でお亡くなりになったのです。
スサノオは記紀やホツマツタヱなど全てに「怠惰」と書かれてしまっているのですが
様子を鑑みるに「怠惰」と言うよりは「鬱」もしくは「自律神経失調症」ではないかと。
喪失感から来る躁鬱状態で働ける状態では無かったのかなーと思います。
彼は生まれた頃からのコンプレックスから、若い頃は自己肯定感が低くてな……。
まあ、このお話はまた別の機会に。
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- [2017/04/19 00:00]
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